天文学者、宮本正太郎

 星空に憧れ、宇宙に憧れ、天文学者に憧れ、天文学を学んだ。その憧れの天文学者のひとりに宮本正太郎がいる。近年になって宮本正太郎が姫路に所縁があることを知り、その足跡を辿ってみた。

 宮本正太郎は、1930年から3年間、姫路市柿山伏に下宿し、旧制姫路高等学校(1948年神戸大学に統合)に学んでいた。旧制廣島第二中学時代には祖父より贈られた望遠鏡で熱心に天体観測を行っていたそうである。姫路高校では特に数学の天草卯教授に傾倒し、稀有な才能を発揮していた様子が、後の天草教授の回想にも語られている。しかし、高校3年の夏に京都帝国大学花山天文台で観測する機会を得、当時の天文台長山本一清教授の強い勧めによって、京都帝国大学で宇宙物理学を学ぶことになる。

 1958年、宮本正太郎は第3代花山天文台長となるが、当時としては珍しく天文学の啓発に熱心な天文学者であった。数多くのアマチュア天文家を気安く花山天文台に招き入れたそうである。恐らく、自身の少年時代からの体験がそうさせたのであろう。著書も50冊に及び、私も啓発書の著者として宮本正太郎の名前を知った。

 宮本正太郎は、探査機時代以前の火星観測に成果を上げ、火星のクレーターに名前を残している。科学の成果は、無機質に思われがちだが、そこには人の取り組みがあり、その陰には人との出会いが欠かせないものである。

 今年は火星大接近の年である。

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宮本正太郎が第3代台長を務めた花山天文台本館