西郷隆盛と火星人

 今年は明治150年ということで、明治の出来事がしばしば話題に上る。NHK大河ドラマの「西郷どん」もこの系列であろう。

 西郷隆盛(1828-1877)は、明治10年西南戦争で落命した。9月24日のことである。火星大接近のこの年、9月2日に火星が最接近している。ちょうど城山で西郷が最期を迎えようとしている頃、輝度を増した火星が宵の空に見られたわけだ。調べてみると、同じ頃、西の空には木星が輝いており、火星の近くに土星も見られた。通常、木星は金星に次ぐ輝星であるが、火星大接近の前後には火星が木星の輝きに勝る。当時の人が驚きをもって、夜空を眺めたことは想像に難くない。この赤い輝星に望遠鏡を向けると西郷の姿が見えるといった噂まで広がり、西郷星と呼ばれた。

 全く同じ頃、イタリアでは天文学者スキャパレリ(1835-1910)が火星を天体望遠鏡で観測し、火星の地形に名前を付けていた。この際、従来より知られていた線状の模様をイタリア語で溝(canali)と呼んだ。これが運河(canals)と英訳されたことが物議を醸した。運河を作る知能の高い火星人の存在が議論されることになったのである。特にアメリカの天文学者ローウェル(1855-1916)は多数の運河が描き込まれた火星図を残している。

 現在、スキャパレリの名付けた地名は火星図に残るが、ローウェルの描いた運河はことごとく否定されてしまった。西郷隆盛の姿も火星人の運河も幻ではあったが、当時を思って火星を見るのも一興だろう。今年の火星最接近は7月31日である。1877年同様、西の空には木星が輝き、さらに明るい火星が目を惹くはずである。

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写真 西郷星を描いた錦絵(画:梅堂国政,1877年)